2013年10月 九州の旅・時どき山 その4.
島原を行く、そして雲仙普賢岳へ。
1990年に雲仙普賢岳が噴火して火砕流が発生、麓の深江町は甚大な被害を受けました。そして1991年にも大火砕流が発生しました。そこに雨が降ると今度は火山堆積物を一気に流す土石流が発生。
そして・・・
昨夜遅く停泊した場所は長崎県南島原市深江町にある「道の駅・みずなし本陣」
この場所こそ、その土石流の被害にあった中心地でした。
明るくなって外に出ると遠くに普賢岳が見えています。その頂からこの場所まで大量の土砂が流れて来たとは想像がつきません。しかし、この道の駅には当時の被害にあった家屋がそのまま展示されています。「土石流被災家屋保存公園」「火山学習館」「大火砕流体験館」など、通常の道の駅とは一味違う施設でした。
道の駅施設のすぐ脇にこの公園はあります。
少し歩けば有明海の海に面した場所です。幸いにも避難勧告が出ていたため人的被害は無かったようです。
信じがたいほどの土砂が流れ込んできた・・・
高さにして2メートル程でしょうか。
この場所から見る普賢岳・平成新山。
当時の状況はこの写真が・・・
噴火後に火砕流、土石流が発生した後。
それにしても緑が少なくなってしまいました。
室内保存の家屋です。
立派なお家なんですが・・・
もし災害時ここに生活されていたら・・・
恐怖です!
流れてきた土砂にも耐えて悠然と立っている頑丈なお家だったんでしょうね。
左が屋内保存された「土石流被災家屋保存公園」
長い年月をかけてこれからこの場所にも緑が増えていくんですね。
火砕流、土石流が流れた中間地点、大野木場にやってきました。
ここは以前、大野木場(おおのこば)小学校があったところです。
右側が火砕流、土石流の流れた所。
その場所は現在も何も無い水無川。
またいつ起こるかわからない災害に備えて、いろいろな工夫がされているようです。
右側は小学校の校舎、本当にすぐ脇を通ったことがわかります。
監視所2階から見た小学校。
熱で窓枠が曲がっています。
小学校玄関。
救いはコンクリート製だったことでしょうか。
背後に見える普賢岳。
あれからもう22年も経っているんですね。
この写真は生々しい・・・
火砕流発生時のものです。ここに通学していた小学生達は恐ろしい経験しました。
そんな火砕流、土石流の爪痕を残した島原深江地区を後にして、噴火して今も静まることのない普賢岳に登ることにします。マグマが吹き出して出来た平成新山は現在も立入禁止になっています。
仁田峠第二展望所より普賢岳を望む
ここにも噴火当時の写真がパネル展示されていました。
仁田峠の駐車場に到着、ここからロープウェーで上がることにします。僅かあれだけの区間ですが、歩くよりは早い、、、
と思ったのですが、何と山頂駅は妙見岳とな?
良いんです、お隣の山なのね。これに乗っても一度谷に下ってそれからぐるりと回って登り返して普賢岳、良いでしょう乗りますとも。
あっという間に妙見岳駅!
なるほど、この地図をみれば良く分かリますね。
間違った方向ではありませんが、帰りは絶対に乗らない!
おかげで妙見展望所へ行くことが出来ましたよ。